合気道旭川道場は、旭川で唯一の公益財団法人合気会公認道場です。
合気道旭川道場公式マーク
開祖植芝盛平翁(以下、開祖盛平翁と略す)の残された合気道の真髄、
そして合気道の素晴らしさについては、この紙面ではとうてい書き表す
ことなどできません。しかし、稽古を通じてならば「合気道とは何か」
を理解することができます。
そこで、合気道旭川道場ならではの3つの特色をお伝え致します。
1、合気道旭川道場は、
開祖盛平翁の道(心・技)を探求
しています。
合気道旭川道場は、開祖盛平翁の心と技の探究、そしてその具現化を目指しています。
開祖盛平翁は「この世の中は、人が経綸して行くものであって、人があっての天地である。目をつむれば何も無くなる。自我と私欲の念を去ったら、天地はすべて自分のものになるのである。合気はこうした精神の道と、体の道とが一つになって現れたものである」と説かれます[1] 。
二代目道主である吉祥丸先生は
「合気は真実そのもののあらわれであって、愛で世の中の人を吸着し、和合させ、いかなる武器ができてもこれに和合してゆくの道である。怒って来れば笑ってこれに和するということこそ、真の合気でなくてはならぬ」という開祖盛平翁の教えを紹介し、これらの教えを理解せずに合気道を技術だけの武術、あるいは腕力のみに役立てるのであれば、開祖盛平翁のいう奥儀には到達できないことを指摘しています[2]。
旭川道場は、開祖盛平翁の教えに一歩でも近づくために、武術としての技法は もちろんのこと、開祖盛平翁の理念を根底にした心の通った全体指導が特徴です。
[1]植芝盛平監修、植芝吉祥丸著『合気道』光和堂、1957年、26-27頁。
[2]同上書、274頁。
2、合気道旭川道場は「基 本」を最も大切にしています。
合気道は、柔術、剣術、槍術等が複合されてできた現代武道であります。それゆえに「他の武道よりも難しい」と挫折してしまう武道経験者も少なくありません。
しかし、旭川道場なら、武道の未経験者でもしっかりと合気道を習得していくことができます。なぜなら、旭川道場は「合気道の中でも、基本の“基”の大切さを理解し体得する」稽古法を重視しているからです。
旭川道場の取り組む稽古法は、着実に実力が付く反面、長い年月を要します。
たとえるならば、それはまるで貴重なワインを造るために、長期間樽に寝かせる状態(熟成)といえます。基本を重視した修業法は、若い弟子・気の短い弟子・浅い考察しかできない弟子にとっては理解することが難しく、去る者もいました。しかし、開祖盛平翁がどこまでも合気道を探求し続けたことに鑑みれば、合気道の修行に終わりがないことは明らかです。合気道を長い目で見たとき、基本をしっかりと身につけることは、その後の合気道人生にとってどれだけ重要なことかを今いる道場生たちは皆理解しています。
稽古を積み重ねることで、開祖盛平翁の残された合気道の精神と技法を無理なく習得することができるように指導している、それが旭川道場の特色の1つです。
【注意】
理念が合わない者、指導者の教えを守らない者、規律違反・団体の和を乱す者、団体の名誉失墜に関わる行為を行う者に対しては厳しく対処(昇級・昇段影響、除名)いたします。残念ながら、これまでにも数名の弟子が構成員としての資格を失っております。
3、合気道旭川道場は、合気道を通じた人間形成を目指
しています。
初代道場長のわかりやすく、また、開祖盛平翁の教えに近づこうとする指導方針に惚れた異国の修行者は少なくありません。遠くはカナダ、米国から兼平師範を慕って再来日した修行者もおります。中には、日本の文化研究を目的に来られたケンブリッジ大学大学院生が噂を聞き付け、在日期間中に修業をしていたこともあります。 初代道場長が道場長を退任する間際には、開祖盛平翁晩年の合気技法を完成させ、オンリーワンの「愛」ある合気道を教授していました。
多田道場長においては、わかりやすく楽しい稽古を展開しながら、合気道の総合的な活用法を教授しています。例えば、高等学校における女子体育授業の中では、「合気道の精神」と技法が現代社会においてどのように応用することが可能であるのかについて、学術的知見に基づく視点から教授しています。その結果、合気道が単に護身術に有効であると認識するだけでなく、今後の人生において役に立つ考え方を得られたと認識する学生も出現し、学生からの授業評価が高いという特徴があります。
合気道旭川道場の稽古法は、中学生を始め、運動が苦手な女性、武道未経験者の
ご年配の方でも無理なく「合気道」の本質を感じとれるプログラムを構成してい
ます。
旭川道場の稽古場所は旭川総合体育館(花咲)と旭川市立神居中学校(神居)の2箇所です。稽古曜日は、火曜日(19:00~20:50)/神居・木曜日(19:00~20:50)/花咲・土曜日(13:30~16:00)/花咲の週3回行います。
以下に、稽古内容とその趣旨を簡単に説明致します。
指導責任者 : 初代道場長 兼平 民洋
【 準備運動 】
学校体育で用いられる準備運動がメインとなりますが、
合気道技法に関連する運動も多数取り入れています。
その他に、合気道独自の受け身・膝行(しっこう)が組
み込まれます。また、準備運動の時間を他の道場の倍以
上かけて行っています。その理由は、合気道技法との関
連性に基づいて体の動き・理屈を武道の初心者でもわか
りやすいように解説しているからです。
これまでも、多くの道場生から「準備体操が長いのは何
故か?」という声も聞かれました。兼平初代道場長は「準
以上のとおり特別稽古においては、準備運動の時間から合気道
の稽古が既にはじまっているのです。
【 徒手(体術)】
合気道界においては数少ない、開祖盛平翁晩年の思想を具現化させた合気道を教授します。
具体的には、開祖盛平翁の目指した型にとらわれない合気道を実践するための説法から始まります。それは、準備運動の段階から始まります。その上で、身体を天地と結ぶことを殊更に強調し、万有愛護を大前提とした合気道の術理を平易な言葉と体勢指導によって教授して行きます。
例えば、「入身だからといって前に出て後ろに回り込むな。敵だって簡単に後方には入れさせてはくれないよ、嫌だからね。だから、前に出るなら後ろに引け。後ろに引くことは自然な導きであり、敵は、気持ちよく崩れて行く。これが慈悲の合氣であり愛氣である」「慈悲の合氣を完成させたくば、剣道で言うところの面を1本気持ちよく頂戴する位の覚悟を持って敵をギリギリまで受け入れなさい。これが不動の姿勢の心構えの基礎であり、慈悲の合氣の源である」「掴むな。掴んだ瞬間から合氣は切れる。合氣が切れたら、敵は、すかさず反撃に転ずる」「今の合気道は、敵が二の手三の手と攻撃・反撃しないことを前提にしている。それは、危ない稽古法である」「本能に任せて前に出たり、敵の腕を握ったり、ぶん投げてやろうと思っちゃいかん。そう思った瞬間に邪心がうまれ、慈悲の合氣でなくなる。そのような本能や邪心に打ち勝つために我々は稽古をしているのだ」など、「兼平語録」は100を超えます。
兼平初代道場長は「開祖は振魂(ふりたま)を幾度も行ったことで開眼され、合氣の哲理を悟ったのだ」と主張します。それゆえに、「合気会で行う船漕ぎ運動は間違いであり、正しくは神道の天の鳥船之行である。掛け声も間違いで、言霊でなければやる意味はない」「振魂をする際には、丹田から合掌した手をらせん状に上げ(宇宙の果てまで氣を出すイメージ)、他方、丹田から下は地球のコアに向かって氣を発するイメージを持ちなさい。さすれば、自分の体と精神を中心に、天と地が氣結びされている感覚が養成され真の合氣に近づく」等、兼平初代道場長のふんだんな解説を聴講しながら「愛」ある合気道の稽古を行います。
指導責任者 : 多田 昌弘
【 準備運動 】
学校体育で用いられる準備運動がメインとなりますが、
合気道技法に関連する運動も多数取り入れています。
その他に、合気道独自の受け身・膝行(しっこう)が組み込まれます。
【 徒手(体術) 】
合気道の技の原理には、日本古来の柔術・剣・槍術が複雑に組み合わされています。それゆえに、兼平初代道場長いわく「一般に徒手と言われているが、無刀(むとう)と呼ぶべきである」と言います。
このことから、稽古では“無刀”であることを意識しながら、(公財)合気会の公認道場として規範型(基礎の技・基本技・応用技)を実施し、「固い稽古」「流れの技」「呼吸法による技」を行います。
また、受けの動きに対しては、実践を想定した動きになるように指導しています(例えば、漫然と取りの手を掴みに行かない、突き技は空手の正拳突き(柔術では当身)ではなく短刀を持って切りかかるイメージを持つ)。
以上の稽古を繰り返すことによって、型と思えていた稽古法から実践を想定した稽古法へ進化・発展して行くことを感じとれるようになります。
加えて、道場生一人ひとの特性に合った合気道の教授を実施していますので、道場生の心・氣・体が必然的に向上し、時間を要するものの「合気道の精神」とは何かについても少しずつ理解できるようになります。
指導責任者 : 多田 昌弘
【 準備運動 】
杖を用いた準備運動を行いますが、基本的には木曜日に行われる準備運動と変わりませんので、木曜日の「準備運動」をご参照ください。
【 杖・剣 】
土曜日に実施する杖・剣の稽古は、基本的には、木曜日に行われる徒手(無刀)の理合を学ぶために行われています。
しかし、それだけではありません。杖・剣 を用いた稽古を行う意義は、真の武道を学ぶことにもあるのです。
現代武道[1]において、合気道でしか学べないものの1つに“間合い”があります。
合気道以外の現代武道は、ルールを設け、1対1、剣道であっても同一の武器(竹刀)を使用して競い合います。
一方、合気道は、競技こそ行いませんが、1対多を想定(例えば、後方からの攻撃や多人数からの攻撃等)し、相手が武器(短刀、剣、棒等)を使用して来ても対処できるように反復稽古を実施します。それゆえに、合気道では、柔道では禁じ手となる逆間接技や当身を用いた技法を修得するだけでなく、武器に応じた最適な体捌きを習得して行く必要があります。
そもそも、武器自体は手の延長と考えられています。このことは、武器の種類によって、間合いが変わることを意味します。間合いが変われば、合気道の技それ自体も変化・適合させて対処して行くことになります。武器が有ろうと無かろうと、変化・適合させるためには日頃の稽古で心身共に訓練して行くことが必要です。
初代道場長は「杖・剣の稽古を疎かにし、徒手(無刀)だけの稽古ばかりする者は、いつまでたっても合気道の理合が解らないために上達できない」と言い切ります。それだけに、合気杖・合気剣等の稽古は、合気道を修練する者にとって大変意義深いものがあります。
稽古内容としては、初代道場長が修練していた銃剣道と槍術および開祖盛平翁の研究から導き出した基本動作(例えば杖を用いての運足法、構え、握り)からはじまり、杖と剣の基本の素振り・31杖・組杖・抜刀等を前半部で実施します。後半部では、杖投げ・杖取り・剣取りをはじめ、それら武器技から徒手(無刀)への理合研究を行います。
指導責任者 : 多田 昌弘
【 準備運動 】
基本的には木曜日に行われる準備運動を実施しますが、稽古時間確保のため短縮しています。
【 体術・杖・剣・短刀・実践護身 】
神居道場は、①「合気道の開祖盛平翁が若き日に探求した実践性の高い合気道を研究し、再現化する」こと、②「合気道の応用可能性を研究し、人間社会へ還元する」という2つの目的を達成させるために、研究家である現道場長が2015年に立ち上げた道場です。現在、神居道場は、前述した創設背景を踏まえ、旭川道場のLaboという位置付けで活動しています。
具体的には、合気道のグローバルスタンダードである合気会の規範型(基礎・基本・応用)の理解促進のための特別稽古を行います。同時に、実践を想定(女性護身・双方向コミュニケーション)した稽古法を導入することで、合気道を「わかる・できる」から「使える」レベルを目指して行きます。
例えば、一般的な合気道では、当身がほとんど省略されていますが、本稽古では、体術の源流に遡ることで当身の重要性を改めて確認すると同時に、実践性の高い合気道を探求します。
大正末期前後の開祖盛平翁は、合気道(合気武術・植芝合気柔術)の技法の1つとして、崩しのための当身と急所を狙った破壊的な当身を積極的に教授していたことが、研究者の史料分析によって明らかにされています。
さらに、1930年、開祖盛平翁の道場を訪れた講道館柔道創始者・嘉納治五郎氏は、開祖盛平翁の技を見て「理想の武道・柔道」と賞賛しています。開祖盛平翁の合気道に感銘を受けた嘉納治五郎氏は、合気道を習わせる目的で開祖盛平翁の道場に門人を送っています(例えば、養正館武道創始者・望月稔など)。
上述したとおり、合気道は、和の武道・現代武道という顔を持つ一方で、実践性を秘めた武術という一面があるのです。
このことから、本稽古では、合気会規範型の稽古を踏まえつつ、合気道技法発展の史実を踏まえた武術としての合気道を探求して行きます。温故知新を心がけた稽古法は、現代合気道の哲理と技法の理解を促進し、「和合の精神」とは何か・「合気道の精神」とは何かを会得する機会になるだけでなく、体格・年齢・性別にとらわれない合気道の「柔」と「剛」の親和を求める機会になります。
なお、本稽古日に通う道場生には、本稽古で習得した技(合気会規範型以外の対武器術・護身術等)の悪用および公開を固く禁じています。
[1] ここでは柔道・剣道・空手道と「道」が付く武術を指します。しかし、それらの武道は、精神性を重んじるよりも競技・スポーツに傾いており、武道とは呼べないという諸説が有力です 。