合気道開祖略歴
●明治16年12月14日和歌山県西牟婁郡 ●明治41年坪井政之輔氏より後藤派柳生流柔術の免許を受ける。 ●明治44年、志あって政府募集の北海道開拓民の応募、明治45年団長として北海道紋別郡白滝原野(現・北海道紋別郡遠軽町)に55戸の同志を引き連れて移住、土地の開拓に着手す。 ●大正7年上湧別村村会議員。 ●大正8年、父危篤のため故郷に帰る。途中、京都府何鹿郡綾部町(現・京都府綾部市)に移住し、修行道場植芝塾を開設す。 ●大正末年、武道の新境地を開く(開眼す)。本格的に「合気の道」と呼称する。 ●昭和2年、一家上げて上京、海軍大学校はじめ各所で指導教授す。 ●昭和6年、現在の東京都新宿区若松町に合気道専門道場を建設。 ●昭和15年、公益法人として財団の許可を得る。 ●昭和16年、茨城県岩間町(現・茨城県笠間町)に野外道場を設置、心技さらに一段と飛躍。 ●昭和30年前後より国内はもとより海外においても普及発展す。 ●昭和35年、合気道創始の功績を以って紫綬褒章を贈られる。 ●昭和39年、勲四等旭日小綬章を受章 ●昭和44年4月26日逝去。この日、正五位勲三等瑞宝章を生前の合気道創始の功績とその普及の功により贈られる。 |
開祖 植芝 盛平 |
合気道二代道主 略歴 ●大正10年6月27日京都府何鹿郡綾部町(現・京都府綾部市)に植芝盛平の三男として生まれる。 ●昭和21年早稲田大学経済学部政治学科を卒業。 ●昭和23年開祖に代わり、合気道本部道場の道場長となる。 ●昭和24年、本部道場の規則的な日常稽古を開始する。 ●昭和31年、初の公開演武会開催に踏み切る。 ●昭和32年初の単行本「合気道」を光和堂より出版。 ●昭和42年、財団法人合気会理事長に就任する。 ●昭和43年、合気道本部道場を鉄筋ビルに改築。 ●昭和44年、開祖逝去により合気道道主を継承す。 ●合気道普及発展の功により昭和61年秋、藍綬褒章、平成7年春、勲三等瑞 宝章を受章。 ●平成8年、財団法人合気会会長に就任する。 ●平成11年1月4日逝去。この日、日本国政府より正五位に叙せられる。 |
二代目道主 |
合気道現道主 |
現道主 植芝 守央 |