合気道のバイブルともいえる『合気道』に、開祖植芝盛平翁の考える「合気道観」を汲み取ることができる貴重な資料(盛平翁、吉祥丸道上長、新聞関係者を交えた座談会であり都下某新聞誌上に十日間掲載された記事)が掲載されています。 以下にご紹介する「問」と「植芝」(開祖)の対談内容は、意味を変化させないために同書の文章をそのまま転載しています。
問B:合気道は空手や柔道とは違うと聞いておりますが。
植芝:合気道は普通の人たちが考えている武道とは全然違います。
問B:では合気道とは?
植芝:私にいわせれば、真の武道ということができよう。というのは、宇宙の真理から出てきた武道だからです。そしてその宇宙は一つのものから分れてできていて、宇宙全体が一つの家族の様に和合し、平和の極地を表現しております。こうした宇宙観から出発している合気道は全く愛の武道でなければならないということです。暴の武であってはならないのです。ですから合気道は万物を生んだ造物主の分身・・・・・・いいかえれば偉大な巨人ともいえるのですね。だから合気道では天地が修業の地であり、その境地は平和でなごやかな暴力否定の境地、いわゆる暴力をも善導しようという至妙境なのです。またこれは日本武道の真の精神でもあります。我々は地上天国を作る使命を持って、この地上を与えられたのですから、戦争などはもってのほかです。
問A:むかしからの武道とは違いますね。
植芝: 大違いです。むかしの武道をみると非常になげかわしいことに使われています。とくに戦国時代などは、大名の私利私欲のための喧嘩道具に使っていましたが、飛んでもないことです。わたしも戦争中は人を殺傷するための武を軍人に教えたため戦後非常に悩みました。それが七年前、真の合気の道を体得し、「よし、この合気をもって地上天国を作ろう」と思い立ったのです。というのは、天も地も完成された域に進んでいながら、人類、とくに日本人がふらついているんですね。 「まずこれを立て直さなければならない。またこれに邁進するのが、世界人類への道である」というところから、真の合気道は「愛」であり、和合であるとしました。だから、合気道の武は愛の表現であり、国への御奉公のために学んできたのであって、その精神はあくまでも愛と和なのです。 しかし合気道は天地自然の理、すなはち宇宙のあらゆる事象によって生れた真の武道であるから、絶対的に勝っている武道であるといえるのです。
問B:合気道を理論的にいうと、どういうことになりますか・・・・・・一般では、先生が一瞬に大男を投げ倒したり、数百貫もあるものを軽々と持ち上げるなど、神秘的な・・・・・・なにか忍術のように思われていますが。
植芝: いや、神秘的に見えるだけでしよう。合気は相手の力を全面的に利用してしまうんです。だから相手に力があればあるほどこっちは楽なんですよ。
問B:すると柔道にも合気があります。相手の呼吸に合わせて、いわゆる、引かば押せ、押さば引け・・・・・・で動いて相手の体勢を崩し技をかけるのですから。
植芝:合気道では絶対に攻めない。攻めるということは、その精神が既に負けることを意味するんです。徹底した無抵抗主義で相手に逆わない。だから合気道には相手がない。正勝(まさかつ)であり吾勝(あがつ)であり天の使命によりあらゆるものに打ち勝つのであるから絶対に強い。
問A:すると「後の先」ということですか。
植芝: とんでもない。「先々の先」も「後の先」も問題ではない。強いて言えば相手を圧する気持ちなくして完全に相手を圧している。・・・・・・すなはち常に勝っている境地です。相手に対して、勝つか負けるか、などということはないんです。それだから、合気道においては常に相手がなく、相手があっても、それは自分と一体になっていて、自在に動かせる相手なのです。
対談内容の一部とはいえ「合気道とは何か?」について多少なりとも理解を助けたのではないでしょうか。ここでご紹介していない対談内容には、とても興味深い対談内容が記載されています。合気道の本質についてご興味のある方は、現在手に入る『合気道復刻版』をご購入の上、全文に目を通してみてください。